ヴェールにくちづけ

俳優やら舞台やらそのあたりの感想やら妄想やら

拝啓、わたしたちのヒーロー

まためちゃくちゃに久しぶりになってしまった。

 

この一年間、わたしを救い続けてくれた仮面ライダービルドがついに週末のファイナルステージをもって終了した。感想でもなんでもない、ただ「好きだったよ」という思いを残すために書き始めたので、万一レポを読もうとしてここにたどり着いてしまっていたら申し訳ないです。これはわたしとビルドくんの、ただの一年間の回顧録

 

わたしとビルドとの出会いは、普通に放送前の特報映像だった。そこに特に派手なエピソードがあるわけじゃないのだけど、あっちゃんがすごくハンサムだったし、わたしは学者とかそういうキャラクターがすきだし、赤と青のバイカラーのガワがとてもかっこよかったので、普通に「毎週見るぞ〜〜」くらいの感じで楽しみにしていた。これが一生愛せると言える作品との出会いになるとは、まだあんまし思っていなかった。わたしは元来物語を追うのがあまり得意でなくて、面白いと思っていてもめんどくさくて途中で見なくなる作品がザラにあった。だから、自分がこんなにマメに追える作品があるなんて、あんまり思っていなかったのだ。

 

始まってからハマるまでは早かったと思う。個人的には、一緒にすきになって、毎週展開を話す相手がいたからかもしれない。ここでビルドのここがすきだった!とか話の展開はこういう系統で〜みたいな話を書いて「だからハマったし今でもすき」というていにしたかったのだけど、かっこいい〜とか最高〜とかしか出てこなかったのでやめた。全部がすきだった。まあ何にせよ、わたしはビルドというコンテンツにのめり込んでいった。

イベントも苦にならない範囲で行った。放送も毎週、なんども見返した。彼らはいつ見ても、いつ会ってもカッコよくって、まさにわたしたちの「ヒーロー」だった。

 

まとまらないので、ここからは今回のファイナルステージの話。

 

わたしはあまりヒロイン然としたヒロインが得意ではない。だから、美空ちゃんのことがとてもすきだった。なぜかと言われるとなかなか言葉にするのが難しかったのだけれど、今回の1部でそれぞれ新世界へと歩き出すときに、一人その場に残る戦兎くんの手を彼女が離したことに、わたしが美空ちゃんをすきでいる全てがつまっていたと思う。

これは連れにも言ったのだが、もう一つのわたしの愛する作品、ミュージカル薄桜鬼であったなら、千鶴はそこに残ったと思うのだ。

でも美空ちゃんは、手を離す。戦兎くんが自分に、自分たちに、世界に何を望んでいるのか痛いほど理解しているから、彼女は、ちゃんと「生きる」道を選び取るのだ。そういう彼女の優しさと強さが、彼女がわたしのすきなヒロインであった全てであった。

最後の回だけ、戦兎くんが美空ちゃんの頭を撫でたのがとても良かったな。ふたりの恋情ではない、あえて言うなら「家族愛」に溢れた関係がすきだった。

 

そして何より、戦兎くんと万丈の関係に、わたしは何度救われてきたか知らない。わたしの知っている言葉で例えようとしても難しい関係で、近しいところでは性癖である「メサイア」なんだけれども、彼らは決してそうではなかった。かといって二人の間にあったものは慕情や友情という名前では薄っぺらすぎて、まして恋情などでは決してなくて。もう、「ベストマッチだった」と言うしかないのだ。

ファイナルステージで、万丈が「新世界では自分のことを忘れてしまう」と言った戦兎くんに激昂するシーンがある。「ふざけんな!お前といてどんだけ辛かったと思ってんだよ!そう簡単に忘れられっかよ……!」と。

辛かったのだ。万丈は、戦兎くんといて。そりゃそうだ。ここまでずっと、命を削って戦ってきたのだから。そして何より、万丈は彼と出会ったことで何度も何度も苦悩して、その度に何かを選び取りながら進んできたのだ。決断には常に痛みが伴う。万丈が味わったその辛さは常に戦兎くんとともにあったし、そんなふうに辛くても、彼はいつだって戦兎くんと相棒でいる道を選びとってきたのだ。「しあわせだった」とか、「楽しかった」とか、そんな薄っぺらい感謝ではなくて、病めるときも戦兎くんと選んで創ってきたことを忘れない、忘れられないと言った万丈に、わたしはどうしようもなく感動した。そしてえけちゃんは、新世界で戦兎くんと万丈がふたりぼっちになったことを、これまでの苦悩を超えてようやくたどり着いた「小さな幸せ」だと言った。キャストにもそう感じてもらえたのが本当に嬉しい。

彼らは世界でふたりぼっちだけれど、ひとりぼっちではない。そしてお互いの隣にいるのが、かけがえのない相棒だということが、ふたりの物語がバッドエンドではない一番の証明だったと思う。

 

夢のような一年だった。もしかしたら、長い幸せな夢を見ていたのかもしれない。

えけちゃんの言った「仮面ライダービルドは終わっちゃうけど、みんなはずっとみんなだし、万丈はずーっと万丈だからな!」という言葉を反芻する。わたしはこの言葉が本当に嬉しかった。大泣きした。あっちゃんにも、えけちゃんにも、これから信じられないくらい売れてほしい。でもわたしの愛した仮面ライダービルドは終わってしまうのは事実で、彼らは俳優として新しい道を歩むことになる。ただただ寂しかった。久しぶりに、「置いていかないで」と思った。

でも、みんなはずっとみんななのだ。万丈はずーっと万丈なのだ。わたしの中で、みんながずーっとずーっとヒーローでい続けることを、えけちゃんが肯定してくれた。嬉しかった。

 

筆不精なのでじぇ〜〜んじぇん書いてないけど、この一年感情的にもいろいろあって、メンタルが弱いのでいろんなことをすきでいるのをやめちゃいたいと思ったときもあった。でもビルドだけはずっとずっとわたしの救いだった。まさしく、わたしのヒーローだった。

ありがとう仮面ライダービルド。わたしの光。わたしの僥倖。これからも一生すきです。

 

マジでビルドの亡霊と化したので、わたしは死ぬまでこの話をしているのかもしれない。それもいいかもね。本当に一年間お疲れ様でした。大好きでした。これからも大好き。

紫陽花の咲くころに

ちゃんとブログ書こうと思って年を越したのに、これが2018年二本目の投稿なのは何なんだ?と自分で思った。あとちゃんと順序立てて理路整然としたブログを書くようにしようと思ったけど、ミラクルリリカルアホちゃんの私にはそれは無理なんだと思った。今後少しずつ直す努力をします。

 

年始から相も変わらず現場通いの日々だけど、今月はジョーカーゲームIIを観た。一年越しのジョカゲ。よかった。推しが世界一すきだと思った。

感想書く前に一つだけ言わせて欲しいんだけど、キャストの後出しホント勘弁してくれませんかね?せめて潤沢に先行ある段階で言って。頑張るもんも頑張れないデショ。まあ今回に関しては完全に私の"負け"だ。推しが出ることくらい読めてないといけなかった。読み負けだ。悔しい。

 

まあ、そんなことは良しとして、今回も私はとても好きだったな。三好死なないし。

私はキモオタなので、実は実力のある人間が正体を隠して戦っていて、ナメてかかってきた敵を華麗に一掃するみたいなのが大好きなんだけど、ジョーカーゲームってめちゃくちゃそういうところあるじゃないですか。いいよね〜。(いいよね〜。)

今回は、流石に原作を読んでないとなかなかに理解が難しかったように思う。そもそもあんましそれぞれのキャラに特徴のないーーあったらスパイが務まらないーー作品なので、初見でいろいろ観ていくのは結構しんどい気がする。少なくとも私は、律儀に原作を読んでおいてよかったと思った。ただ、展開を知っていてもなお、オリジナル要素と舞台演出で観客を欺き驚かせることができる西田大輔は、やっぱり天才だなと思う。原作ファンからの評判もおおむね「大好評」なのがすごい。オリジナル要素は時として、というか、保守的なオタク界隈ではかなり敬遠されるが、今回の演出とストーリー構成に文句を言っている人をあんまり見ていない。原作未読はキツくない?と言っている人は多いけど、西田大輔の舞台とは往々にしてそんなもんである。私自身も、個人的にすごくよかったと思っている。

今回はダブル・ジョーカーとワルキューレ、二つのストーリーを絡めて展開したわけだが、私はVS風機関が大好きなので、邑弥の実井で見られたのがとても嬉しかった。

原作読んだときにも、途中まで物語の主軸にいてD機関を脅かしている「つもり」だった風戸が、結城中佐の完璧な仕事に打ち負かされるところがめちゃくちゃ最高と思っていたのだが、舞台オリジナル要素が加わることでさらに最高になっていた。

D機関のかっこいいところって、彼らにとっていたって「通常」通り任務をこなしているだけで、他の諜報機関や軍事組織を圧倒的に凌駕しているところじゃないですか。魔術師と呼ばれた結城中佐を真ん中に据えて、誰も誰かのため、何かのためには動かないところが好きだ。彼らは任務の達成による自己陶酔を報酬として生きるプライドの塊なのだけど、そういう自分さえも客観視した上で闘っているのがいいのだ。

今回の主演・実井は「森島邦雄」として白幡邸に潜入していたわけだけど、気弱そうな書生だった森島が蒲生に牙を剥くところがかっこよすぎなんですよね〜〜〜〜。実井めちゃくちゃ足が長い。

邑弥は体のキレもいいし、その上お芝居も上手いので非常に観やすい。いたずらっぽい笑顔が、実に原作通りのちょっとした美形感があって良かった。

そしてそれに対峙する蒲生も、流石の芝居のうまさ。軍人らしさを残しながら、他の頭の回らない馬鹿とは違うのだ、という自信に満ち満ちた目が好戦的でかっこよかった。

そして、そういう「愚かなエリート」像を作り上げて、「風機関の蒲生」の下に「D機関の蒲生」を忍ばせるすごさたるや、めちゃくちゃよかったと思う。

原作では、グラハム邸の一件と白幡邸の一件は別案件だ。だからグラハム邸に潜入していた蒲生は初めからD機関の人間だとわかっていたし、二重スパイでもなかった。これは本当に西田演出好きだなと思ったところなのだが、こうして原作の展開を知っている人間でも、二つのストーリーを絡めることによって「知らない」展開が出てくるわけだし、舞台が初見の人間にとっては蒲生の存在が最後のどんでん返しで驚かせてくる。知ってても知らなくても、舞台オリジナル要素によって話がぐっとまとまったし面白くなってたと思う。まあ実井と蒲生は同じ作戦の中で動いてるなら戦う必要なかったデショと言われたら大暴れすることしかできないのだが、大人の事情があるんだから許してほしい。

めっちゃ最高なのは、蒲生について最後まで詳しくは語られることがなく、本当のラストシーンでD機関の面々が報告のため結城中佐のもとに集まっている場面に、当たり前のように蒲生が入ってくるところなのだ。それまでの高圧的でプライドの高い喋り方から一転、スパイらしいと言っていいのかわからないけど、冷静で何もかもを俯瞰してみせるような声でD機関に舞い戻る蒲生は、正直めちゃくちゃのめちゃにかっこよかった。

 

あとは、宮下雄也があまりに面白くて死にそうになった。私はオラさんも好きなのだけれど、宮下雄也は圧倒的にほかの面白俳優と比べて芝居が上手い。だからこそ、好きにアドリブシーンをやらせていても一気に次のシーンに転換させることができている。サインのくだりがめちゃ好きだった。なんなんだよデンターシステマって。

 

雪村の存在感もすごかった。わたしが観たのは田崎と神永の回だったんだけど、役入れ替えであそこまでそれぞれ芝居するのあまりにすごくないですか!?!?誰が演じても一定のクオリティが保たれていて、それでいてそれぞれの俳優の個性が出ててびっくりした。ドイツでのストーリー展開の大部分を担っていたから大変だったと思うけど、完成度高いシーンだった。

松本岳も、お芝居上手くなった。私波多野のビジュアルすごく好きなんですけど、原作で柳先生がよく言う「色白の肌、紅をさしたような唇」ってめちゃくちゃまつがくのかんばせに似合う形容だと思っていて。色が白いから波多野の明るい髪色もよく似合っているし、パッと明るい紅の唇も舞台に映えていてとっても綺麗だった。

今回の波多野はパラダイス・ロストの中の「誤算」という短編の世界線の波多野だった。記憶を失った波多野が、レジスタンスの彼らに介抱されながらドイツ軍の追撃に抵抗しようとするシーンがあるが、短い時間にたくさんのセリフを詰め込まなきゃいけない場面でめちゃくちゃ丁寧に回せてたの、とてもよかったと思う。まつがくが、一見飄々としているように見えて、プライドがド高い波多野を体現したような目をするのがカッコよい。柳先生の書くお話は、短いのに描きたい「スパイ像」が引くほど鮮やかに書き連ねられていてスッゲーなと思うのだけど、西田大輔はそれを舞台に落とし込むのがうますぎてやっぱりスッゲーなと思った。

何にせよ、ヤッキーすごく大人になりました。これからももっともっと活躍してほしい。

 

あとまあ、する?推しの話。世界一かっこいいんですけど。

次にスタミュも控えてるし、稽古期間もそんなに長くなかったので、何より私は推しの舞台はいつも推しが主演だと思ってるけど、今回三好は主演ではないので、前よりはだいぶ出番も殺陣も減っていてちょっとだけ安心した。彼には前科があるからだ。

 

‪メッキの言葉を並べ立てて - ヴェールにくちづけ http://ssnn7.hatenadiary.com/entry/2017/05/07/014004

去年のブログを読み返したら引くほどキモかった。

 

まあそれは置いておいて、主演だった前回よりははるかに出番は減ったんだけど、三好というスパイマスターとしてのキャラクターも相まって、推しは今回も鮮烈な存在だった。

彼の演じる三好は、一つとして同じキャラクターではない。初演の憲兵とも、「柩」で死んだ槇とも、全く違う明るさの中に冷酷さを隠した顔を簡単に演じ分けるさまがかっこよかった。俳優として誰より優れてるくせに、誰より努力するから推しはずるい。そう、推しはいつだって、自慢の推しだ。キモくてごめんな。

三好は今回、スパイ「でない」ときがあんましないので、そのほとんどが潜入のために演じている役柄を演じる役がらでの登場である。三好ではない彼が、三好としての任務を鮮やかにこなしていく姿が良い。やること全てが誰かの「先」をいく、生きてさえいればかつての「魔術師」にもなり得た存在。それをさらりとやってのけているように演じることができる勝吾くんはやっぱりすごい。

数少ない殺陣のシーンもよかった。刀の似合う推しなので、体術や銃での殺陣はいまだに新鮮だ。でもどのときにも言えるのは、推しは殺陣をやってるとき、本当に敵を制圧する人間の目をしている。芝居だとはもはや思えない目つきで、相手役を見つめる姿に、いつもゾッとする。ああいう場面で、推しはもはや芝居をしていないのかもと思う。彼が三好であり、三好が彼なのだ。つくづくすごい役者だ。推しサイコ〜〜。

キレのある体捌き、優雅な仕草、美しく女を騙す声、綺麗な顔。前作よりさらに完成度が上がっていたように思う。タバコを吸うときの指も蠱惑的だった。三好役は、他の誰でもなくずっと勝吾くんにやってほしいな。

 

前作観劇の際も感じたが、ジョーカーゲームは私の肌にひどく合っている作品なのだと思う。まだまだ大阪公演も残っているので、ぜひキャスト、スタッフ、その他関係者の皆様が無事に千秋楽を迎えられるよう心から祈っている。

次は待ちに待ったスタミュだ〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!大暴れするぞ。(しないぞ)

 

僕のことは愛さないでほしい

リリカルメサイアブログ

http://ssnn7.hatenadiary.com/entry/2017/02/19/173829

極夜

http://ssnn7.hatenadiary.com/entry/2017/09/04/064907

悠久

http://ssnn7.hatenadiary.com/entry/2017/09/04/205752

 

メサイア 月詠ノ刻を観た。

心がついていってない部分が大いにあるんだけど、ブログを書き散らして多少なりとも昇華できたらいいのにって思ってる。未だに間宮の話してる私にできるかはわからないけど。

あとめちゃくちゃ今更だけど、私のブログは頭が悪いので、その場のテンションで書いてるので考察とかではないと思います。

 

万夜様と小太郎、二人の物語が終わってしまった。

思えば私は、暁で初めて万夜様を見たとき、あまりいい印象を抱かなかった。どうしてこうも、この子は他人との間に壁を作るのだろうと。ワガママだと思った。もっと言いたいことを言ってほしいと思った。語るべき言葉を語らずに悲しい結末を迎えた二人を、私たちは知っていた。

だから、極夜を観たときいろんなことがちょっと意外だった。万夜様はほんとうに、神さまだったのだ。迷える人を、自分を頼る人をみんな救ってあげたいという、慈悲深い神さまだった。おかげで間宮は未練を(わずかだったとしても)絶てたのだろうし、有賀もいつきとメサイアになるということの意味を考えてくれたのだと思う。万夜様は、やさしい神さまだったのだ。

今回強く感じたけれど、万夜様は間宮であり、有賀であった。その物語を、あの劇場でいつきを主演に据えてやることは、本当の意味で鋼を越えるために必要だったんだと思う。

あの二人と万夜様、小太郎のメサイアが違ったのは、「言葉」を共有したかというところじゃないだろうか。小太郎にとって万夜様はまぎれもない神さまで、万夜様にとっても、小太郎は常夜に咲く太陽だった。それをお互い解っていたかどうかというのは、鋼との大きな分岐点になった。言わなくても伝わる、あれは、少し嘘なのだ。

 

 

 

小太郎は、いつきに「自分のメサイアを撃つのはどんな気持ちか」と聞いた。これがすごく印象的だった。不在であるいつきのメサイアの気持ちを、彼はいつきに聞いたのだ。「メサイア」の先輩として、有賀といつきがその背中をいかに見せてきたかというのが伝わってきた気がした。有賀のことはいつきが知っているし、いつきのこともまた然りだと、後輩たちはちゃんと感じていたのだ。メサイアとしてのあるべき姿を、刻み込んでいたのだ。
その質問に、いつきが「やっと解れた」と答えたのも、また胸が締め付けられた。「解る」ことは、間宮がきっと一番望んでいたことだと思ったから。小太郎と万夜様は解りあった上で「殺した」けれど、有賀と間宮は解りあうために「殺した」。それは、何年たってもやっぱり辛い。でもそうでなければ万夜様はいないし、有賀はいないのだ。「命を救うだけがメサイアじゃない」といういつきのある種の「悟り」は、あの世界の真理なのだと思う。だから間宮は有賀が与えた死によって苦しみから救われたし、万夜様は小太郎の死によって彼の愛を飲み込んだんだ。

以前悠久で書いたブログの万夜様像が合ってるっちゃ合ってるとこもあるけどまあ不正解だったみたいなとこがあって。万夜様にとって……というか、人間にとって一番プライベートな「死」という事象を、神樹として他人に管理されて生きる万夜様の手に取り戻すには、小太郎の手で殺されるしかないのかしら、と書いたのだけど、万夜様にとって「生きる」ことは「死んでいる」ことだったのかなと思うところがある。

生かされてきた生が、生きるための生になったのは、紛れもなく小太郎に出会ったときで。小太郎のくれた命で、やっと「御池万夜」が生まれたのだ。たった一人、小太郎のための神として。今度こそ、救うための神として。万夜様にとっての第一の死は、むしろ誕生だったのではないかなと思う。

万夜様は、神樹となるべく利用され続けてきた。そんななかで出会った唯一の「太陽」は、どんなに眩しかっただろう。汚さないように遠ざけて、それでもその光に目を焼かれそうになりながら、小太郎に焦がれてきた万夜様は、サクラ候補生として初めて彼と同じ視点に立ったとき、どう感じただろう。きっと幸せだったんだろうな。顔さえ知られてなかった自分の神さまが、自分の隣にいてその名を呼ぶんだ。「神樹さま」ではない、自分のほんとうの名前を。「万夜様って呼んでいいよ」っていうのは、僕の名前を呼んで、っていう万夜様の精一杯の言葉だったんだなあと思った。それと、「小太郎って呼ぶの、気に入ってるんだ」って台詞が、頭に焼き付いて離れない。自分が与えた名を、今度は隣に立って当たり前に呼ぶ。小太郎を柱にした、万夜様の宗教。そして小太郎にとっても、万夜様はたった一人の神さまで、照日の杜とはまた違う、御池万夜その人を崇めてた。二人きりの、二人よがりの信仰は、静謐で美しい。セットがゆらりと揺れるたび、どこか劇場の空気がぴんと張り詰めて、清らかになった気がした。

小太郎の選択は、狂信的だったと思う。それでも、万夜様が小太郎の思い描いた「神さま」であり続けるために、そして小太郎もまた、万夜様の焦がれた「太陽」であり続けるために、決して間違った選択ではなかったとも思う。命を救うだけが、メサイアではないのだ。もっと本質的な救済を与えるのが、片割れとしての矜持であり、義務なのだろう。二人の思う「しあわせ」がそこにあるのなら、私は小太郎が万夜様の中で生き続けることを心から願うし、万夜様が前を向いて、常夜の中でも唯一の太陽を道しるべに進んでいってくれることを願ってやまない。


アイネクライネ

アイネクライネ

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥250

 

桜とともに消えた小太郎、良かったなあ……。

 

あまりに小暮の顔が大好きそうでウケたと連れに言われたので、小暮と雛森の話も少ししたい。

まず本編とは全然関係ない話なんだけど、小暮の前髪が目にかかると非常に”良さ”がすごかった。悠久までの冷静な黒とは違う、大荒れの心の内を映したような鋭い眼が黒髪から覗くのが良かった。

あとひなちゃんも顔が良いな〜〜と再確認した。眼の前で殺陣をしていたとき、腹に穴が空いているはずの彼がニタァと笑いながら敵をねじ伏せていくのが狂気の沙汰すぎて震えてしまった。ひなちゃんは強い。

薄々そうかな〜〜と感じていた小暮の過去が、今回シレッと明らかになった。アイデンティティを揺るがす秘密に直面した小暮は、今までの冷静さをすっかり失ってしまうわけだけど、思ってた以上にひなちゃんが彼の「メサイア」でちょっと驚いた。メサイアとはこうあるものだ、と、あの中ではひなちゃんが一番知っているからだろうか。園さんを失った痛みを、ひなちゃんは忘れていない。だからこそ、次のメサイアとは「生きて」いたいのかなと思う。自暴自棄になった小暮に、今回それを理解するのは少し難しかったかもしれない。ただ、彼自身がどのように生まれた存在であれ、今生きている小暮はひなちゃんのメサイアなのだ。

人間は書くために生まれてくるペンや切るために生まれてくるナイフとは違って、なんの意味も持たぬまま生まれてきて、その人生をかけて生の意味を獲得していく生き物だという。だから、小暮がどのような目的で生まれたって、これからの人生には関係がないのだ。ひなちゃんのメサイアという「役割」が与えられた今、小暮の生に道具以外の意味付けができればいいなと思う。そのためには、彼自身がそのことに気づかなければいけないのだけれど。

毎回どのメサイアにも言っているが、べつに私は清く正しく、一般的な「幸せ」を獲得してほしいなどとは絶対に思わない。ただ、他の誰かから見たらくだらなくて不幸でも、たったふたりが幸せだと感じていればそれでいいと思うのだ。だから、今回もまた、私は性懲りも無く「生きてほしい」と言いたい。この二人には、絶対に、生きていてほしい。そして唯一無二のメサイアとして、拳を付き合わせて桜舞う中旅立ってほしいと思う。

 

いつきが大人になっていたのもとてもよかった。大きくなったなあと思った。何も語られなくても、有賀の言うことが絶対と思えるのがすごい。もう他人に依存して駄々をこねていたいつきはいないのだ。あの場にいるのは、有賀のメサイアとして唯一彼を救える男だった。あのいつきが後輩に背中を見せるような立場になるとは。すごいなぁ。

いつきのそばで、まるでかつての有賀と間宮をトレースしたような小太郎と万夜様の物語が展開される。いつきが彼らにかけた言葉や、見せた行動が、あのときあればよかったのに、と思ってしまう。でもこれは、いつきにとって、そして私たちにとっての清算だ。鋼をオマージュしたような、と言ったら言い過ぎなのだけど、そういう場面に他でもないいつきが意味を見出して、メサイアとは何かを彼の言葉で語ってくれたことは、本当に大きな意味を持っている。

 

 

そんなに泣くかな〜〜って言いながら余裕かましてた自分を殴りたいけど、なんとなくこれまでのメサイアの中で一番まとまってて観やすい話だったと思う。観劇してからずっとつらくて具合が悪いことには目をつぶって、私はこのジャンルのさらなる発展を祈念したい。

 

2017総まとめの巻

だいぶブログをご無沙汰してしまった。

ご無沙汰ついでに敬語をやめてみる。か、書きやす〜〜。

あまりにも年末なので、一年の観劇まとめをしてみようかと思う。今年はあんまり行かなかったから、多分ちゃちゃっとできるはずなのだ。

 

1月

 

・スターピープルズ!
推し、新年一発目の舞台。前の年はつむ鴨で舞台が最後だったので、九月くらいから見てなかった推しを久しぶりに見た。久しぶりに、武士じゃなかった。久しぶりに、死ななかった。平々凡々だけど魅力的な立ち振る舞いが素敵だった。話もとっても面白かったし。個人的にはライトがMVP。

来年もエンゲキ楽しみにしてます。

 

・私のホストちゃん THE FINAL〜激突!名古屋栄編〜

いつしかライフワークになっていた。推しが出るわけではないので気軽。女の闇を垣間見る舞台だけど、思いがけず勇歩がかわいかったので危うく闇に飲まれるところだった。こちらが深淵を覗き込んでいるとき、深淵もまたこちらを覗いているものなのだ。


・北村イベ

俳優にハマってから毎年恒例の行事。身内のような奴らとギャイギャイしてきた。北村は毎年ファンサが微妙にうまくなる。


・幸福な職場

素敵な作品だった。働くということは、こんなにも人間を豊かにするんだなと思った。松田と安西はやはりすごい俳優だ。存在だけで目を惹く。亜美ちゃんも軽やかで、とてもかわいらしい。まさしさんも安心感。芝居を愛する人が人間を愛してつくった作品なんだなと感じた。

 

 

2月

 

東啓介 DVDリリイべ

とんを見て「わ〜デッカ〜〜」って言いたくて行った。聞きしに勝るでかさで、多分58.4mあったと思う。やっぱり歌が上手くて、彼はきっとこの方面で売れていくのだろうなと思ったりした。

 

・アマテラス

待ちに待った少年社中の新作。一度しか見れなかったのが悔やまれる。翔太がとてもいい味を出していた。やはり芝居が上手い。一度しか見ていないゆえに考察がバッドエンドに向かったりもしたので、ぜひ円盤でまた観たい。まだ?


・俺たち賞金稼ぎ団

推しの仕事。スタピのときには短すぎた黒髪がいい具合に伸びた。つまり最高ってこと。起承転結がわかりやすいストーリーが特徴の舞台だと思うが、今回も明快でよかった。悪役が存在しない世界線なのだ、結局は。

友人のおかげで行くことができた大楽、久しぶりの相馬圭祐推しに心が震えた。シンケンジャー永遠也。


・荒牧イベ

これもまたライフワーク。マッキーのファンサはいつでも完璧だ。疲れちゃわないかと心配になるが、いつも大変楽しませていただいている。この回は育ちの良さが垣間見えてとてもよかった。


メサイア 暁ノ刻

俺たちのXデー。目の前に護が現れたときの衝撃たるや、あれを超える客降りは今後ないのではないかと思うほど。護も燈も本当に心身ともにぼろぼろでドキドキしたけど、彼らは彼らが一番いいと思う結末にたどり着いたのだと信じている。

 

ノラガミ

良席で観た。龍ちゃんがとてもよかった。オリジナルキャラクターというのは難しい役どころだけれど、龍ちゃんだから大丈夫だったのだと思う。まあ前から思ってはいたが、設定とか自体は私の肌には合っていない。

 

 

3月


初恋モンスター
マッキー初座長作。三回くらい観た。彼を活かす方法はもっとたくさんあるのだと声を大にして言いたかったが、一生懸命なマッキーはとても好きなのでまあ、よしとした。トムが可愛くてよかった。


・スーパーダンガンロンパ

再演。鯛ちゃんが植ちゃんになった。クズペコがとても好きなので、やっぱりあのシーンは泣いた。拡樹くんは相変わらず狂う演技が上手い。ただプレ席特典の台本は、割といらない。


・勝吾くんイベ

初めて推しのイベントに行った。早朝から仕事だったので、開始1分前に駆け込んだのもいい思い出。あまりに疲れていたので、写真の時嬉しすぎてちょっと泣きかけた。

 

 

4月


・ミュージカル スタミュ
人生を変えるアニメに出会った公演。最近は全くアニメを見ない生活をしていたが、あまりに良作すぎて久しぶりに観た。推しの歌がうますぎて原作ファンがちょっとウケていたのがウケた。誰のことも嫌いにならずに済む、ただ青春のきらめきを眺めて涙することができる最高の作品。

個人的に虎石くんのことが大好きなので、今後は高野くんを積極的に応援させていただきたい。続編おめでとう。通います。

 

・ミュージカル薄桜鬼 原田左之助

これまた人生を変えた作品。推しがキャス変してから初めての薄ミュ。自分はいったいどう感じるのだろう、と不安だったけど、とても素晴らしかったのでそんなものは杞憂だった。とんが演る太陽みたいなさのさんも、かりんちゃんが演る一輪の花のような千鶴ちゃんも大好きだ。

ちなみに、このブログを書いている間に新作の発表があった。西田演出毛利脚本とは、これは天国か?尻がきっちり死ぬ覚悟を決めないといけないが、今から大変楽しみだ。ただキャス変が悲しくて大泣きはした。岳いままでありがとう。大好きでした。

薄ミュ、これからもずっと続いてほしいな。

 

 

5月


・舞台ジョーカーゲーム
最近死んでなかったので油断していたら、推しが死んだ衝撃の作品。原作の一作目だけを読んでいったことを悔やんだ。死ぬのかよ。

行った回でハプニングがあったりもしたが、推しの実力と西田さんからの信頼を噛み締めることができた。あと才川コージが超人類であることがわかった。

続編おめでとう。行くかも。


・男水!

遠くで塩素の匂いがして、つめたい水しぶきが頬を濡らしそうな、爽やかで素晴らしい舞台だった。全員が主役を張れるレベルのワカハイを集めて、お金をかけてセット組をして、そうするとこんなに見栄えのする舞台になるのだなと思った。誰もがもがきながら前を目指している、アオハルかよ!な美しい話。オネエジャーの腹筋が強い。

 


6月・7月

 

・東京喰種〜或いは、超越的美食学をめぐる瞑想録〜
身内で物議がすごかった作品。どうだったかと言われたら、今なら私の肌には合わなかった、と言える。推しと松田は素晴らしかった。それだけは事実。


8月

 

・モマの火星探検記

パラノイアサーカスぶりの、推しの少年社中参加作品。加えて矢崎、松田岳の参戦。胸が躍った。案の定素晴らしい作品だった。何度見ても同じところで泣いた。グルステで思うところがありすぎて、こうして素晴らしい作品と仲間に恵まれることは当たり前じゃないのだな、と強く噛み締めた。スタイリッシュ銀ピカの推しにはウケたけど、毛利さんは勝吾くんを世界一上手く使ってくれるお方だと思っている。その信頼に応えるのが、推しの喜びなのだろう。素敵。


私の頭の中の消しゴム

翔太の回を見た。通算四回目の消しゴムだったけど、これもまた同じところで泣いた。むしろこれって、悲しい部分を知っている方がその前の幸せな新婚時代を手放しで喜べなくてつらいのでは?

今回のふたりも流石の芝居のうまさで、グイグイ引き込まれてしまった。

 


9月

 

メサイア 悠久ノ刻

有賀、いつきの卒業公演。数いるメサイアの中で、珀と鋭利の次に幸せなメサイアだと思った。ふたりがふたりであるために選んだ道は、間宮という存在をとくべつなものにしてくれたと思う。もう私も間宮のことふっきらないといけないな。ふたりの絆は、間宮と一緒に悠久を得たのだから。


宇宙戦隊キュウレンジャー エピソードオブスティンガー舞台挨拶付上映会

初めて特撮の現場に行った。子どもたちがとても元気だった。内容はVシネならではの重さ。スティンガーは不器用でさぞ生きづらいだろうと思う。でもそれが彼の矜持であるならば、彼は幸せなのだろうとも思った。ラッキーとナーガの投げやりなファンサがよかった。


・劇団シャイニング マスカレイドミラージュ

奇跡的にチケットが取れたので行った。お金のかかった良い舞台だった。藍ちゃんのキャラクター上課されがちなつらい試練を、もっくんが儚く軽やかに、それでいて美しく演じてみせていた。みんなとても上手くて、うたプリ抜きにしても見応えのある舞台だったと思う。衣装の厚みに安心感。

 


10月

 

・ミュージカルスタミュ リリイベ

早起きして幕張まで行った。推しが元気そうで安心した。続編上演が発表されたときの会場のどよめきを着メロにしたい。キモオタ、という感じでとてもよかった。

ちむらぎ、ちむとりは場慣れしたワカハイが多く、一番先輩であるはずの華桜会が場を引っ掻き回していたのが面白かった。


・JOURNEY 浪速忍法帖

初めてpatchの現場に行った。痛快、という言葉がよく合う、予定調和の美しさを感じる作品だった。勇歩の芝居がとてもうまく、体さばきも軽やかなので、見応えがあって感動した。ただ芝居の好きな人間が集まって演ってる感が気持ちのいい作品だったので、また機会があればpatchの現場には通っていきたいと思う。古参の方万一読まれてたらお手柔らかにお願いします。


青の祓魔師 島根イルミナティ

また青エクやってくれた。西田さん演出は尻が痛くなるけど大好きだ。良子さんの玉雲がほんとうによくて、彼女の演じる美しい淑女や高潔な武士も好きだけれど、おかあさん、がいちばん好きかもと思った。

燐も雪男も相変わらず良い。雪男が二次元界イチ好きな顔をしていることもあるが、私は彼に幸せになって欲しいと思っている。だから眉間にシワを寄せた彼が、宮崎秋人に戻るとき人懐っこそうに笑うのが、とても好きだったりする。また観たいな〜。


・舞台K Missing kings

いろいろハプニングがあったけど、やっぱりKはすごいなと思い知らされた作品。やや復習部分が蛇足という思いもあったが、初めて観る人にも優しく、何度も観ている人間も記憶が蘇って普通に泣けた。

荒牧の殺陣はいつも見応えがあって美しく、一種の舞のように感じるが、今回は極限、という感があり、ちょっと観ていて緊張した。あの状況でやり切ったみんなに改めて拍手を送りたい。あとかりんちゃんかわいすぎてびっくりした。いい加減慣れたいものだ。

 


11月

 

・デパート!

もっくんの歌が聴きたくてチケットを取っていた。大正解だった。言わずと知れた大ベテランに囲まれて、もっくんもとてものびのびやっていた。

時代遅れと思っていたデパートという形態だけど、丁寧に選びぬいたものを丁寧に売る、というすてきなホスピタリティに時代も何もないのだと思った。誰も悪い人がいない、あったかい物語。あと三越劇場が豪華でよかった。

 


12月

 

屋根の上のヴァイオリン弾き

自由くんを観に行った。泣かないと言われていたのに、結局泣いた。ほんとうに歌が上手い。芝居も上手い。

自由とか平等って、不自由とか不平等を隠蔽することで生まれるわけじゃない。時代という言葉で片付けてしまうのは簡単だけど、檻の中にいた自分たちを語らなければほんとうの意味での解放なんて得られやしないと思う。翻弄されながらもたくましく生きる姿をコミカルに描き切っていて、つよく心を打たれた。本物って、こういうもんなんやな。

 

仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー 舞台挨拶付上映会

今年異様にどハマりしたビルドくんの現場。しっかりは観ていなくとも、平成ライダーはずっと観てきたので、感動して普通に泣いた。オーズが好きで好きでたまらない人が撮った映画。

自分が何者かわからなくて、不安で仕方ないくせに、それでも世界のラブアンドピースのために戦う戦兎くんがとてもかっこいいと思った。その姿を見た龍我が戦う理由を見つけるのもまた、エモい。これは一種のメ……アだ。ここで生まれた戦兎くんと龍我の絆が、戦兎くんのアイデンティティが揺らいだときに彼を救ったのだと思うと、より味わい深い。

あと地下室にベッドをひとつしか置かなかった人ありがとう。見事なメ………漆黒……でした。

 

・勝吾くんイベ

3月は仕事場から直行したためクソファッションで参加してしまったので、今回はと気合を入れすぎてめっちゃイキッた。今回は身内も身内の萬時さんが司会だったので、飲み会か?というくらい推しがはしゃいでいた。自分はほかのだれかをこんな風に一生懸命応援したことがないから、みなさんがここまで必死に自分を応援してくれることがどれだけありがたいか、という旨の話をされて、ちょっと泣いた。いつもファンのことを考えてくれているところが好きだ。無理せず自分のキャリアのために、これからも俳優であり続けて欲しいと思った。


・四谷怪談
観劇納めは、前回の公演から再演を待ちわびていた四谷怪談。舞台ひとつで、チケットを買って「観に来ている」はずの、第三者であるはずの観客を物語に参加させて、その当事者にしてしまうのが、凄まじいところだと思う。観るのにこんなにエネルギーを使う作品は、他にそうない。私は、私であることを選んだのだ。あの場で、確かに。

これはとてもナイーブな話だと思うけど、容疑者が口を開くたび、言葉も人を殺すのだと思い知る。そして調べれば調べるほど、あの事件が現実なのだと思い知って、舞台で観てきたことと現実との境目が曖昧になっていく。フィクションにひとつ真実がまざることによって、私は私が加害者のひとりなのかもしれないという思いを募らせる。

西田さんらしい、人間の凄みを思い知る舞台。きたむーはペダステ後この舞台に出てから、ガラッと雰囲気が変わったと思っている。役者として、ものすごく厚みが増した感。何様だよって感じだが、そう思う。美しくてある種残酷な彼を、ぜひとも観ていただきたい。

なんで円盤にならないんだろう?と思っていたけど、今回劇場で目の当たりにして、あれは生で見るべき舞台なのだろうと確信した。余談だが、今回のスペゼロはシアターXより箱が大きかったので、前に感じたセットのなんとも言えない匂いの気味悪さとか、手の届きそうだった距離のバラバラ死体(を模しているであろうマネキン)がすこし遠かったので、開演前の身震いがすこしだけマシだった。でも怖いんだよなあ。美しくシンボライズされてるだけに、全てが怖い。

 

結局めちゃ長くなった。来年も無理せず舞台を楽しみたいと思う。ブログもできれば書きます。

終わりのない空

 

http://ssnn7.hatenadiary.com/entry/2017/06/20/121840

今までの感想読み返したらポエムすぎて内容が全然伝わってきませんでした。

 

二月に暁を観てからずっと立ち直れず、淮斗の魂のありかを求めてSF小説を読みました。(救われませんでした)その後極夜でメンタルをボッコボコにぶん殴られ、もう誰も死ななければ何でもいいと願いながら臨んだのが悠久です。一体何が永遠になるの?信じられるものは何?

メサイアは、他の舞台で感じたことのない「幕が上がらないでくれ」という恐怖と緊張を味わうことができる唯一の舞台です。でもまあ、結論から言うと、今回は私、割と幸せでした。

 

有賀と間宮と、いつき

冒頭から泣かされるとは、思ってませんでしたけど。かつての有賀は第三の闇に所属していて、たくさんの人を殺してきた。それはわかってました。ただ、曲がりなりにも彼が組織に属している間は、帰属するコミュニティがあったわけですよね。それこそ、「お前は誰だ?」と問われたら答えることのできる、一応の居場所が。でもそこを抜けて、自分を定義するものもなくなって。それって大きな絶望であり、不安だ。

そんな有賀を救ったのが、間宮のヴァイオリンだなんて。

あのボロボロの状態の有賀の脳内で、きっと何度もリフレインしたのが、間宮の音楽だなんて。

そんなのって、すごすぎます。

何も頼ることができなくなった有賀に差した光が、他でもない間宮だった。泣けた。間宮にも、できたらそれを、もっと早く教えてやりたかったと思いました。だってきっと、ひとりぼっちの間宮にとって、有賀もまた救いになりえたはずだから。いや、もうとっくに、救いだったのかもしれない。どこまでもすれ違っちゃうメサイアだったんだなあと思います。だからこそ、未だに何だったのかよくわかってないですけど、極夜は良かったと思います。

いつきが有賀の目を覚まさせるために、いつきがヴァイオリンを持ち出したのは、何というか、意外でした。

いつきは、初めて見たときから何となく、我の強い子と思っていて。あの子どもっぽさは、自己主張の激しさとかワガママさから来てるのかなって感じてました。(まあそれが一番顕著だったのは深紅ですが)でも本当は、ずっと自分じゃ何も決められない子だったのかも。生活のほとんどを他人に決めさせ、責任を負わせようとして、そういう要求が年齢や状況に相応しいレベルを超えたとき、依存性パーソナリティ障害と診断されるそう。いつきを実年齢以上に幼く見せていたのは、もしかしたらこれなのかもと思います。キャンディ舐めてたのも、依存して、何でも決めてくれていたチェーカーを亡くした不安を紛らわすため。そう考えるといつきって、思っていた以上に孤独と戦ってきたんだなあ。

今回、有賀にとってはいつきに判断を委ねることは信頼の証であったかもしれないけど、いつきにとっては突き放されて見限られたも同然だったんだろうな。辛いです。

で、そんないつきが、有賀を取り戻すためにヴァイオリンを弾こうとするの、とんでもなく胸が痛すぎる。彼はそれが大きくても小さくても、有賀が救われたいのは「加々美いつき」ではなく「間宮星廉」にだ、と感じていたんだなって。反発して、間宮でなく自分を見て欲しいとメッセージを発していたときでさえ、いつきは心のどこかで「間宮の代わり」になろうとしてた。確かに有賀を見ていたら、彼の心の穴が間宮のかたちをしていると、はっきりわかります。だからこそ一番近くにいるいつきは、その穴を埋めるために間宮になろうとしたのかなって。もうそれが悲しくて悲しくてさ。いつきはいつきとして、有賀のメサイアになればいい。間宮は間宮で、有賀のそばにいるはずだから。そう思うけど、有賀の人生において間宮という男があまりに鮮烈すぎたんでしょうね。有賀自身も「間宮になろうとするいつき」ではなくて、ちゃんといつき自身と向き合おうとしてたはずなんだけど……でもこれは私の主観だけど、有賀がいつきにかけた言葉って、全部間宮が生きてたらかけるべきで、かけたかった言葉のような気がしてて。だからそれを受け取るいつきは無意識に、それが自分に対する言葉だという認識を薄めてしまったのかもしれませんね。これもある種のすれ違いなのかな。私の勘違いかな。

とにかく、いつきには間違わないで欲しかった。有賀に必要なのは「間宮の代わり」じゃない。代わりなんていない。いつきはいつきとして、有賀の救いになればいい。そういう考えがあったので、理由はどうであれ有賀が止めていつきがヴァイオリンを弾くに至らなかったこと、少しホッとしています。有賀が極夜で言った間宮への「ありがとう」は、無駄になっちゃいけないんです。有賀の懺悔と後悔をいつきが解決するのは違うし、いつきの献身はいつきに返してあげて欲しい。間宮がそこに介在する必要は、きっとない。間宮を理由にいつきがいつきでいることを蔑ろにしてはいけないんだ。

でも、有賀がひとあし先にチャーチを発つとき、いつきも間宮も一緒だと言ってくれたことが死ぬほどうれしかったです。一度拙作で、いつきに「有賀さんは間宮さんを忘れる必要なんてない。三人でメサイア、それでいいじゃん」的なことを言わせたことがあって。図らずもそれが叶ったことが、幸せでならなかった。

有賀の痛みはいつきの痛みで、いつきの痛みは有賀の痛み。

二人がそう言ったのを聞いた今、彼らの関係に過去を持ち出す必要はもはやないと思うけど、二人の心のなかにいつまでも間宮が生きていることが、私にとっての救いです。

俳優としてこれから先共演することもできて、役としてもどちらも欠けることなく卒業して。そんな恵まれメサイアがまた爆誕したネ!!

あと全然関係ないんですけど、杉江は顔が小さすぎだし井澤は足が長すぎじゃないですか?何を見せられてるのかと思いました。いい加減慣れたい。あと杉江がメサイアを大好きで大好きで、加々美いつきが大切でたまらない感じがとても好きです。かわいい。

 

万夜さまの話

万夜さま、正直暁観た段階ではあんま好きじゃなかったです。彼のバックグラウンドが語られる間も無く、ワガママ感を押し出す芝居をしてたからかな。そう感じさせるほどりょーきがうまいということなんですけど、あんまりキャラクターとして好きになりそうな気はしてなかった。

でもまあ、極夜観たら「万夜様」ってなりますよね。万夜様は万夜「様」です。様が付きます。

「僕は君に殺されたい」は、悠久で一番刺さったセリフだったかも。

書き下ろし短編も読みましたが、ますます万夜様に興味が湧いたというか、単純に好きになりました。りょーき芝居が上手いなあ。小太郎になにか言いかけて、それを飲み込んでいつも通りへらへら笑ってみせる万夜様、すごい良かったと思う。

万夜様にとって、生きることってなんなんだろう。

胡散臭い教団のお飾りだと思っていたとこがあるんですけど、彼は思っていた以上に神聖な神子としての一面があって。ただ彼自身は、おそらく自分が「特別」であることへの疑問とか反感とか、きもち悪さを少なからず抱いていたのかな。でも教団の信者たちは清廉で神秘的な、自分たちと「異なる」存在である万夜様を信仰していたいのであって、万夜様というパーソナリティは必要ないんですよね。だからこそ彼を神格化することで救われたかった人たちは、もはや自分たちの願うかたちをやめた「神」を殺したのかな。

万夜様は自分自身として生きることを否定されて、神であることを望まれて。それが叶わなくなると殺された。彼が死んだのは、彼を神たらしめるためじゃないですか。彼の生は、彼の神聖さを損ねる障害に成り下がっていたわけで。万夜様にとっての死って信者である「他人」のためのもので、万夜様に属すものではなくなってしまっていた気がします。

でも、小太郎なら。自分が神であることを否定して、ただの「御池万夜」として殺してくれるじゃないですか。彼が神もどきであることを一番憎んでいるのは小太郎だと思うし。だから小太郎に殺されることは、万夜様にとって「死」という一番個人的で秘匿されるべき事柄を、自分の手に取り戻してくれる最高の手段なんじゃないかなあ。万夜様を万夜様として殺してくれる小太郎は、皮肉にも生きることにうまく馴染めない万夜様のメサイアとしてどこまでも相応しい存在だなと思います。

まあ全部妄想なんですけど、万夜様と小太郎が、憎しみとか恨みとか全部超えて、ちゃんとメサイアになれたらいいなって思います。苦しみの中で踠いてる二人だけど、闇とともにしか生きていけないのだとしたら、せめて、その中で光になりうる存在を得てチャーチを出て欲しい。

 

小暮とヒナちゃん

私メガネ大好きなんで、小暮のビジュアルに前髪があればもう文句なし百点満点のドストライクだったんですよぉ。今回ついに小暮が私のどタイプの見た目になりました。おめでとうございます。みんな卒業した今、次の推しサクラ候補生は小暮で決定です。たぶん。

まあそんな見た目のことはいいとして、キャストが出た時点で小暮のメサイアはヒナちゃんで事実上決定だったんですけど、新キャストにメサイアやらせるのはちょっと意外だったかも。なぜなら私は、グエンがサクラ堕ちして小暮のメサイアになると思ってたんですよね。

だからいっけーちゃんがヒナちゃんとして小暮のメサイアになるっていうのは、ちょっと予想外だった。

そんでヒナちゃん、これまた大好きなキャラクターでした。 真面目な小暮と好対照で、私はこういう関係性好きです。バディものって、互いにないものを補い合う関係が定石だし、心にグッとくるもんだものね。

小暮の過去とか身の上は置いといて(置いとくんかい)、多少の毒はあれどなんだかんだで小暮のメサイアたろうとしてくれるヒナちゃんが、これからどう展開していくのか本当に楽しみ。ヒナちゃんまだまだ闇抱えてますもんね。公式ビジュアルより前髪で顔が隠れてたんですけど、殺陣で動いてるときとか袖にはけるために踵を返すときとか、髪がなびくたびのぞくヒナちゃんの瞳、真っ暗なんですよ。深淵です。ちょっとゾッとした。ヒナちゃんという深淵をのぞくとき、ヒナちゃんという深淵もまた、こちらをのぞいているのかもしれませんけどね。

次々と新しい情報を突きつけられてゆらいでいる小暮と、一枚上手の先輩サクラ候補生といったところのヒナちゃんが、どうやってぶつかってメサイアになっていくのか楽しみだな。「唯一」を作らなそうな二人がどうやって変わるんだろ。落ち着くところに落ち着いて欲しいけど、こう、お互い絶対に許せないような障害にぶつけて欲しいとも思う。今までの人生を選んで敵になるのか、これからの人生を望んで許すのか、みたいな。意味わかんないと思いますけど、なんかそういうのが見たいって話です。

 

ちょっとだけ護と淮斗の話

暁で無事卒業していった護が、サクラとしてうまくやっているようで安心しましたって話。そしてそのすぐそばには淮斗がいるとわかって、涙が止まらなかったという話。

「生きている」という定義をどう捉えるのか、淮斗の姿は私の思う「生」なのか、護がいいならいいじゃんと思いつつも、気持ちの落ち着くところを探していました。データにも人格を認める、ともすれば詭弁だなっていうエグゼイドくんの最終回にちょっと救われたりもしました。

でも今回、たとえ生きる形は変わっても二人が二人のままサクラになったことを目の当たりにして、今度こそもうどうだっていいやって思いました。どうだっていい。二人が分かたれることがないのであれば、私はそれでいいと思います。護が幸せなら、護が一人じゃないなら、それでいいんです。

それしか手段はないと思ってはいたけど、いつきを救ってくれてありがとうな、淮斗。そういえば淮斗は、深紅のときいつきに優しかった。なんかそれを思い出して、泣けました。

これからも護のそばにずっといてほしい。そしてサクラとしての矜持を守ってほしい。メサイアという美しいシステムを体現するような二人は、やはりサクラとして生きてほしいと思います。

 

暁のときは、夜明けのタイトルを冠しながらも一人で暗闇の中に駆け出していった護に泣けましたが、今回は朝焼け(夕焼けかも知んないけど)の中に二人揃って飛び込んでいく演出に、引くほど泣けました。

これで主要なメンバーはあらかた卒業してしまいましたが、私はメサイアというシリーズが大好きなので、これからもずっと続いてほしいなーと思ってます。

ちなみに今回のイメソンは、ブログタイトルにしたこの曲です。(私見)

http://sp.uta-net.com/song/214678/

終わりのない空

終わりのない空

  • 秦 基博
  • J-Pop
  • ¥250

 

追記

追記すればいいのにメサバレに投げたやつ貼っときます。(鍵垢)

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聞こえますか、この声が

喰種ぶりの推しの舞台、観てきました。前回の出演作は思うところがありすぎたので、ただ純粋に楽しめる舞台に出てくれて、素晴らしいキャストに囲まれてくれたことがあまりに最高だった。大好きな少年社中にまた呼んでもらえてすごく嬉しい。実力で選ばれていることがわかるから嬉しい。毛利さんありがとう。

 

前情報まったくなしで行ってみたんですけど、最初推しが見つからなくてウケました。スタイリッシュ銀ピカ!!

まあいかんせん推しなんで、贔屓目しかないのかもしんないですけど、やばくなかったですか?テレスコープ。何度かあれが推しだということを忘れたし、なんなら人間が演じているということも忘れてしまった。推しってそこまで器用な方じゃないから、動きも台詞回しもキャラ作りも、本当にたくさん稽古したんだろうなって思えてね〜〜。芝居は私の思うアンドロイドそのものなんだけど、スコープスにはどこか人間味を感じさせるところがあっていい。間違いなく彼らは機械だけれど、宇宙飛行士たちにとってみたらかけがえのない仲間なんですよね。火星に残されたモマの元にスコープスが戻ったシーンで死にそうになりました。ひとりになったモマにとっても、そしてひとりでモマを残さなければいけないみんなにとっても、スコープスが、機械が希望になりうるのです。すごくないですか?

最後にテレスコープがモマに掛けた、「生きて」というセリフが、切ないけど美しくてよかったな。全く同じセリフを喰種で推しの口から聞きましたが、あのときよりずっと、優しい意味だった気がします。

なんか涙が止まらなくなりました。推しにこの役が与えられたのは、推しにならできると思われたからで、推しじゃなきゃダメだと思われたからで。

そりゃあ欲目もありますけど、推しは可愛い顔してますよ。歌もうまいです。芝居もうまいし、メイク映えするので、.5の派手なメイクも良く似合います。

それでも、引く手数多の舞台化押せ押せ市場で、推しの事務所は推しがいろんな舞台に出ることを選んでくれます。社中は客演に推しを呼んでくれます。ありがてぇ限りです。ありがてぇ。

あと個人的には、ミュージカル薄桜鬼かぶれなのでモマとガーシュウィンのシーンで崩れ落ちそうになりました。

松田岳と矢崎広が……仲間……何……怖……ヤバ……。

同じ役を演じる二人が、同じ宇宙船のクルーなんて、激アツすぎて泣けました。二人がからかいあってる何でもないシーンさえほっこりして涙出た。ガーシュを助けに行って、逆にモマが火星に残されるところは特にヤバイ。辛すぎるけど、ガーシュウィンの運命をモマが肩代わりしたことは悲しみ以上の何かがある気がしました。あとモマを助けに行こうとするガーシュを殴って止めたのが輝馬だったのもまた。すべてはつながっているのだ。

まーたみんな、芝居が上手いんですよね。しなやかで美しくて、いいなあと思いました。矢崎結婚おめでとう。

 

けんけんもよかった。というか多分、一番好きなキャラだった。声がすんごくいいんだ〜〜。ちょっとかすれ気味の、優しくて滑らかな声が、飄々としていて明るくて、ちょっとだけ憂いを帯びたミヨーのあの感じにぴったりでした。

そして久しぶりの勝吾くんとの共演に胸が踊った。ミヨーはきっと、スコープスのことすごく大切にしてるんだろうな。スコープスもきっと、自分たちを信頼してくれてるミヨーが大好きなんだろうな。とかね。照明の当たっていないところでもわちゃわちゃしててくぅんわいぃ〜〜と思いました。付き合いの長い二人ならではの距離感、空気感。素晴らしい俳優です。けんけん結婚おめでとう。

 

圭ちゃんもすんごくよかった。圭ちゃんの小器用な雰囲気は封印されて、迷いながらも進みたい青年感がすごく出ていた。

レイが夢を語るシーンは、今の圭ちゃんじゃないとできなかったと思います。久しぶりに帰ってきた圭ちゃんと、これから宇宙を目指すレイの決意が重なって泣けた。いつかカレイドスコープと一緒に火星に行けるといいね。圭ちゃんおかえり、ありがとう、と言いたくなる役でした。

 

私は社中のメンバーの中ではありそさんが好きなので、ハカセも超可愛かったです。

こんなこと言うのももはや失礼ですけど、社中のみなさんは本当に芝居がうますぎる。最高に素晴らしい。誰ひとり他作品と同じ芝居はしない。舞台映えがすごくてかっけ〜〜。すげ〜〜。

ありそさんの台詞回しとか声のハリとか、背が高くて見栄えのする所作とか、コミカルにもシリアスにもなれるまさに舞台人といった風格が本当に素晴らしいと思う。ありそさ〜〜ん!!好きだよ〜!!

 

役者さん全員がストイックでかっこいい、希望の物語。たくさん観られて本当に良かった〜〜。

 

この広大な宇宙に、僕はひとりぼっちじゃない。

 

暖かくて、泣けて、最高でした。すべて繋がってるのだ。みんな繋がってるのだ。

 

初演も観たいから、次の社中のときに買おうかな〜〜。

 

 

おまけ

また今年も、私の頭の中の消しゴム観ました。四回目だしもう流石に泣かね〜〜べ笑笑 と思ってましたけど、普通に前回前々回と同じとこで泣きました。情緒どうなってんだよ。

我らが高崎翔太の回を観ましたが、これまでで一番、壊れそうな浩介だったなーと。

翔太顔綺麗だし、前の役で髪明るく染めすぎて、黒があんまり入ってなかったんですよね。きらきらした栗色の細い髪が 、浩介の繊細な部分を表してるようで、無性に悲しくなった。伸びた前髪が顔に影を落とすのさえ、辛いのだ。なんかもう悲しくて辛くて寂しいけど、二人が最後に笑ってカーテンコールに応じてくれたので、少し救われたような気になりました。

翔太芝居うまいなあ、すごいなあ。

また機会があれば観るんだろうなーと思います。本当に辛いけど、決して悲恋ではない、優しい物語です。

 

悪食と美食

友人のご厚意もあり三公演観ました。
回を重ねるごとに思うことが増えた舞台だった。まだ大阪残ってるので、ネタバレ無理な人は読まないでね。まあ大したこと言ってませんし、原作読んでる人からしたらハァって感じだと思いますが。


初演と原作5巻までの知識しかなくて申し訳ないし、読み進めたら変わる解釈もありそうだから近々全巻揃えようかなって思ってます。グロ苦手なんですけどね。


今回金木がキャス変しましたが、松田最高でございました……。かわいかったな。前回までの、喰種になったばかりで不安定で少し幼い金木を演じるには、おごたんがぴったりだったなって思いました。でも今回のちょっと成長した金木は、松田のしたたかな演技がぴったりだった。オープニング前あたりの、左から青い照明、右から赤い照明に照らされた金木が、二つの色が混ざり合った紫の照明に向けて走り出す演出がよかったです。喰種でもあり人間でもある金木が、そのふたつが共に生きるために駆け出す感じが良い。
だがしかし、松田の金木はスゲー強そうだ。腹筋バッキバキ。榊秀平くんの名残。

あと自担がスゲー声が通る。芝居が上手い。
錦が過去を語るシーンがあるんですが、少年時代から現在まで、勝吾くんが演じるんですよ。チョ〜〜〜〜〜〜〜〜かわいいの極みって感じだった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜弟を持つ身として「お姉ちゃん」を推しが呼ぶというのは胸にくるものがある。変な意味じゃなくて。
ともするとコメディになってしまう二十代後半のショタ役ですが(何とは言わない)非常によかったと私は思ってます。
あとよそ様の感想で「ボコボコにされる演技が上手い」と評されていましたが、本当にそれなんですよね。今回錦は、ラストシーンまでほぼボコられてましたし手負いでした。だからこそこう、勝吾くんの芝居がすごい生きた。推しが幸せに笑ってる舞台が一番好きですが、ときどきこういうの観たくなるのは、彼の芝居がリアルで痛々しい分、見応えがあってある種美しいからだろうなあと思います。


ただね、今回、ストーリーでいろいろ思うところがあったんですよね。最初観たときにはそうでもなかったんですけど、なんか回を追うごとにン?ってなった。「推しと同じ空気吸ってる」ってことに慣れるまで全然舞台を客観視できないことが原因です。多分。


気になったのは、錦と、貴未ちゃんのこと。
錦の両親とのエピソードがあるかどうかは5巻までしか読んでないので存じ上げないんですけど(近々読むのでお許しを)、彼が人間に失望して絶望したことは、唯一の存在であった姉の喪失だけでも十分にわかると思う。そして姉を裏切った、姉の愛した人を喰うという業も、めっちゃ重いと思う。
だからこそ、貴未ちゃんと惹かれ合うことに蓋然性を感じないんですよね、あれだけのエピソードだと。共依存と言えば聞こえはいいかも知れないけれど、それならばもっとドラマチックに、錦くんが幸せになる方法で出会ってほしい……。
貴未ちゃんの自己愛の入り混じった自己犠牲は、錦がたくさんの人を殺してまで生きてきた生をすべて肯定できるようなものなの?簡単に彼女を信じてしまった錦が心配。姉の人間への愛のかたちを思い知ったのだろうけど、自分の恋まで利他的でなくてもいいと思う。
錦くんの全部が全部受け入れられなくてもいいと思うので、せめてもう少し展開に時間をかけてたらなあってなります。わりとドロドロした世界観の中で、二人の理想論がちょっと浮いてる気がした。

もっとなんか書こうと思ってたんだけど、ちょっとめんどくさくなってしまった。喰種の食って生命活動としてのプリミティブな側面が強くて、私は結局月山も「悪趣味」であっても「悪」とは言い切れない気がした。気味悪かったけど。でも人間をそれ以外の食物に置き換えたら、私らだってそれを罪や不道徳と言い切れないんじゃね〜〜かな〜〜と思いました。

あと昔ゴリゴリの厨二病こじらせオタクだったので、この曲思い出した。

 【MEIKO悪食娘コンチータ鏡音リン・レンhttp://nico.ms/sm6328922?cp_webto=share_tw-iosapp #sm6328922 #ニコニコ動画


舞台とは別のところで非常に気に入らないこともありましたが、それは彼のファンや周辺の人が十分責めたのでしょう。私は静かにしておく。ただ、推しが大切にしていた役を彼が演ることが、本当に悲しくて仕方ない。なんでこんなことになるんだろ。


漂うコーヒーの香りが、妙にくっきりと印象的な舞台でした。推しの柑橘系?の香水、何か教えてほしいな。